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空に向かって、青々と枝葉をしげらせる太い幹、古い石碑を抱え込むように伸びた巨大な根。口春・三郎丸の大樟の木は、一説に樹齢千年を越えるといわれています。
口春に、人が定住し始めたのは弥生時代のことです。当時、一帯は、うっそうとした原生林だったとか。
時代が進むに連れ、森は切り拓かれたものの、この樟の木だけは残されました。
やがて、大樟の下に観音堂が建立され、御神木としてあがめられました。周囲の石垣や石碑は、江戸時代・明暦年間(1655-57)のものです。当時、庄屋役の古江八右衛門とその娘むこが、村人にはかり、石垣を築き、その上に石碑を建立しました。
ところで、この三郎丸の大樟には、かっぱ伝説が残っています。この木に縛りつけられた、いたずらもののかっぱが、村人の情けで放されたのちも、樟の根もとを掘って、枯らそうとしたとか…。どっしりとした枝ぶりを眺めていると、この由緒ある伝説が、つくり話には思えなくなります。
▲三郎丸の大樟の石碑