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中原淳一展 ~美しく装うことの大切さ~

Article ID:0020230 Update:2021年3月18日更新 ページ印刷する

チラシ
「それいゆ 表紙」1954年作 中原淳一 (C) JUNICHI NAKAHAEA / HIMAWARIYA

中原淳一展 ~美しく装うことの大切さ~

10月1日(金曜日)〜10月17日 (日曜日)​

「美しく装うこと」、それは平和を求めることと同じです。

 しかし、戦争という異常事態の中でそれを実践することは並大抵のことではありません。 それを世の中に提言し、自ら実践したのが中原淳一 (1913 ~ 1983)です。昨年生誕 100 周年を迎えた中原淳一はファッションデザイナー、イラストレーター、編集者、ライフクリエイターなど実に多彩な仕事を創り上げたマルチアーティストであり、女性が持つ「美しく装うこと」によって「自分を表現する」意識に、戦前、戦中、戦後を通して多大な影響を及ぼし、それを育てました。

それいゆ1958_51

中原が生きた前半の時代は決して平和な時代ではありませんでした。

中原は大正 2 年に生まれ、 いわゆる 「大正デモクラシー」 「大正ロマン」 といった民主主義の思潮も経験しましたが、 長くは続かずに徐々に軍靴の音が大きくなっていき、 時局は暗部へと突き進んでいきます。


やがて日本はアメリカに対しての真珠湾攻撃をもって宣戦布告をし、戦争へ突入していきます。戦局が悪くなるにつれて思想統制もしき、「欲しがりません、 勝つまでは」「進め、  一億火玉だ」などのスローガンのもとにすべての日本人が戦争のために命の犠牲をも強いられるようになったのです。

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しかしながらそんな中でも中原は軍部からの圧力干渉にも耐え、女性とりわけ少女たちの暮らしに意識と自立心を以って明るく生きてもらおうと、雑誌「少女の友」に作品を発表し続けました。

ますます戦況が悪くなっていく中、軍部の強い圧力により「少女の友」を降ろされますが、中原は「きものノ絵本」を刊行するなど、止むことなく中原流の平和を追求していきました。この時代の女性の考え方は「銃後の護り」に徹し、食べるものも食べずにひたすら自分を滅して国を護るのが当たり前という中で、中原の行動はある意味で反戦的なものでした。

それいゆ1955_36

やがて日本は敗戦を迎えますが、中原はすぐに雑誌 「ソレイユ」(のちに 「それいゆ」  に改題)、と  「ひまわり」を創刊し、 さらに少女のための雑誌 「ジュニア それいゆ」 を創刊して大ブームを巻き起こします。 敗戦後の女性の意識を目覚めさせたのです。   ファッションのみならずその仕事は戦後の女性の生き方に大きな影響を及ぼしました。 今もその影響は脈々と受け継がれています。  中原淳一がいなければ現在の女性の社会進出のみならず、 平和保持の日本も有り得なかったといっても過言ではありません。

それいゆ挿絵_1950

21 世紀の現在に至っても古びた印象を与えない中原の数々の仕事が、彼のゆるぎない一貫した平和を愛する心を基に創り上げられたものであったことを展観することが本展の主旨です。
本展では中原淳一の多彩な仕事を、大正、昭和、平成そして令和へとつながる時代背景と女性の「美意識」と社会参加の歴史をたどりながら追うことによって、女性の地位向上確立に至るその偉大な功績を再確認いたします。

 

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