ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

織田廣喜の略歴

Article ID:0003981 Update:2019年12月23日更新 ページ印刷する

織田廣喜

織田廣喜は1914年、当時の福岡県千手村(現・嘉麻市)で生まれ、少年時代を碓井村(現・嘉麻市)で過ごした後上京。

電機会社で働くなどさまざまな仕事をしながら苦学して画家となり、二科展で出会った妻リラ(1927-1998)の支えで絵筆一筋の人生を邁進、戦後間もない1950年に二科会会員、1980年に二科会常務理事、1995年には日本芸術院会員になるなど、2012年に亡くなるまで意欲的な創作活動を続けていました。

その一方で、1985年にリラがくも膜下出血で倒れてからは亡くなるまで、寝たきりの妻を介護し、愛し、ともに生き、絵を描き続けました。

そうして描かれた作品は哀愁を感じさせる女性の姿や幻想的に描かれた風景が特徴です。

織田廣喜略年譜

西暦
年)
年齢
(歳)
出来事
1914 0 4 19日福岡県嘉穂郡千手村(現嘉麻市)に父鶴吉、母マサノの次男として生まれる。
1917 3   隣村の碓井村大字飯田(現嘉麻市)に転居する。
1921 7 4 碓井村立碓井尋常高等小学校に入学する。この頃父の本棚から絵本がわりに美術書を持出し眺め、次第に模写のような事を始める。
1924 10   千手村の西楽寺の雲外和尚に墨絵のてほどきを受ける
1927 13   全国学芸品展覧会(主催:筥崎宮御造営落成奉祝会・福岡県教育会・九州日報)
1929 15 3 碓井尋常高等小学校高等科を卒業
父が病気のため働きにでる。陶器の絵付け、ちょうちん屋の図案描きを経て福岡市の菓子店「凪洲屋」に勤めたのち碓井村へ帰り郵便局員として働く。
村祭りの時に自宅の玄関先に水彩画、鉛筆画を並べ個展を開く。
1931 17   碓井村の帝展入選画家で初代飯塚市教育委員長を務めた犬丸琴堂(慶輔)に油絵の指導を受ける。
1932 18   犬丸琴堂の勧めと両親の説得の末、上京する。国鉄「臼井駅」から「折尾」を経て丸一日かけて東京へ。
中野に住む同郷の友人宅に住み、その後氷屋に住み込みで働く。
庭の掃除や屋根塗り、植木の手入れなど便利屋的な仕事、化粧品の訪問販売などをし学費を貯める。
1934 20   日本美術学校<外部リンク>絵画科に入学。当時大久保作次郎<外部リンク>が講師。後に藤田嗣治<外部リンク>林武<外部リンク>も指導にあたる。
経済的に苦しく、舞台の描き割りや歌舞伎座の黒子をしたり、泡盛の空瓶に絵を描いて売り歩く。
1937 23 9 第24回二科展<外部リンク>に初出品するが、落選する。以後も搬入を重ねる。
藤田嗣治、岡田謙三、鈴木信太郎に指導を受けながら制作に励む。
1938 24   美術雑誌『みづゑ<外部リンク>』の主幹であった大下正男の書生として勤め、『みづゑ』の配本、図版の整理などを行う。
1939 25 3 日本美術学校西洋画科を卒業
1940 26 8 第27回二科展に<未完成>を出品、初入選
1943 29   徴用により、大下家の勤めを辞し、横河電気製図部で働く。
1944    

徴用された工場の疎開のため、富士山麗に転居する。

終戦後、進駐軍に雇われ、憲兵隊のホールや司令官の宿舎に壁画を描く。ホールに描いた壁画は20人ばかりの女性群像であった。

1946 32 9 二科展再建第1回の第31回二科展に『黒装』を出品、二科賞受賞
同展へ小松島(徳島県)から萬宮リラも『猛禽』を出品し初入選となる。
二科展パーティー会場まで案内したことがきっかけでリラとの手紙のやりとりがはじまる。
1948 34   リラとの結婚の許しを乞うため小松島(徳島)の萬宮俊二(リラの父)を訪ねる。
岡田謙三の家(目黒区)に住み込む。二科展に大作を出品することを学ぶ。
1949 35 9 二科会準会員に推挙される。
1950 36 8 岡田謙三が渡米。岡田の依頼で、中原実の家(武蔵野市吉祥寺)に住み込む。
9 第35回二科展に<讃歌>を出品、二科会に会員推挙される。
1951 37 萬宮リラと結婚
戸山ヶ原の旧陸軍の厩舎を借り、1000号の大作『月見』を制作
杉並区上高井戸に転居する。
1953 39 2 長男廣比古誕生
1954 40 9 リラが二科会会友推挙に推挙される。
1957 43 1 世田谷区上祖師谷に転居する。
1960 46 3 初めての渡仏
1961 47 6 帰国
1962 48 4 父 鶴吉死去
7 妻リラ、長男廣比古とともに渡仏。スペイン、イタリアへも取材旅行する。翌年4月帰国。
1966 52 4 横浜出港の英国船で渡仏。9月に帰国
1968 54 2 第52回二科展出品作<噴水とマヌカン>が1967年度文部省買い上げ決定
9 第53回二科展に<小川の女たち>他を出品、内閣総理大臣賞受賞
1969 55 10 29日 次男きじ男誕生
1970 56 11 渡欧する。
1971 57 4 パリで初めての個展をエルヴェ画廊で開催
9 第56回二科展に<水浴>(ミュゼ・オダ蔵)を出品、東郷青児賞受賞
1973 59 2 家族と共に渡仏。往路ではハワイ、タヒチ島、フィージー諸島、アカプルコなど巡遊。各地に一週間ほど滞在しながら取材をおこなう。3か月の船旅の末ロンドンを経てパリへ入る。7月に帰国
9 二科展の出品を終え、渡仏。翌年4月に帰国
1980 66 5 二科会常務理事に就任する。
1981 67   サロン・ドートンヌ<外部リンク>会員に推挙される。
碓井町(現嘉麻市)住民センター文化ホールに緞帳『水辺の少女』が設置される。
1982 68 2 リオ・デ・ジャネイロ名誉市民となる。
3 福岡市美術館において<憂愁の詩人画家>織田廣喜展開催
7 母 マサノ死去
1983 69 暮れ 浅草界隈の取材を行い制作する。
リラ夫人、くも膜下出血のため約3か月入院する。
1985 71 7 浅草を描く織田廣喜展(銀座和光)を開催
1987 73 5 第8回日伯現代美術展受賞者展で審査員を務める。
1991 77   碓井町(現嘉麻市)町制施行50周年を記念し、『パリの少女』『碓井町役場風景』を制作、同町へ寄贈する。
1992 78 4 勲4等瑞宝章受章
6 織田廣喜ふるさと展が碓井町(現嘉麻市)住民センター文化ホールにて開催される。
1993 79 10 碓井町(現嘉麻市)立碓井小学校体育館に緞帳『讃歌』が設置される。
1994 80 5 ミュゼ・オダ<外部リンク>(福岡市)開館
1995 81 6 恩賜賞・第51回芸術院賞受賞
11 芸術院会員に就任
1996 82 5 碓井町立織田廣喜美術館開館
1997 83 5 碓井町名誉町民の称号を贈られる。
12 ​翌年3月まで西日本新聞「聞き書きシリーズ」に『絵筆とリラと<外部リンク>』と題して78回の連載となる。
1998 84 5 20日 妻リラ死去
6 赤い帽子・織田廣喜ミュージアム開館
7 次男きじ男とともに渡仏
2003 89 5 勲3等瑞宝章受章
7 フランス芸術文化勲章・シュバリエ<外部リンク>受章
2006 92 5 二科会理事長に就任
7 織田廣喜美術館開館10周年記念展「織田廣喜の抒情的で優美な世界」開催。同展会場ではにリラとの出会いのきっかけとなった第31回二科展以来60年ぶり『黒装』と『猛禽』が40年の時を経て並んで展示される。
2009 95 5 12日 長男廣比古パリにて死去
2012 98 1 自宅で入浴中に脱水症状で倒れ入院
4 20日 二科会総会にて名誉理事長に就任
5 30日 東京都八王子市の病院にて死去
6 6日 東京都 代々幡斎場にて通夜式 7日葬儀