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神功皇后が応神天皇とともに朝鮮から、大分(だいぶ、筑穂町)、穂波、飯塚を通り、田川から都へお帰りになる途中、急に漆生にお立ち寄りになりました。村人たちは驚いて大急ぎでお迎えの用意をしましたが、座布団が間に合わず、ちょうど取り入れたばかりの稲を築き上げ、その上に座っていただきました。その時に座られた稲一束を、風景の勝れた山の頂上に七尺ばかりの穴を掘り、そこに埋めたという言い伝えがあります。 それからは、その山を稲築山と呼び、稲築と号した社殿が建立されました。この社殿が稲築八幡宮のおこりであり、稲築(いなつき)の名のおこりといわれています。 |
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